ラモスの嘆き解説に見る大衆放送の難しさ

サッカー中継には実況のアナウンサーと解説の元選手がいる。

DAZNで日頃からサッカーを見ていれば、

自分の好みの実況と解説がいるだろう。

 

日本代表の試合にも当然、実況と解説があるが、DAZNのそれとは違う。

 

何が違うか。

 

抽象論と具体論の違いである。

 

日本代表の試合のように、地上波で放送されるものは

普段サッカーを見ない人たちにもわかりやすいものでなければならない。

 

オフサイドのルールをかろうじて知っているくらいの人たちには抽象論で十分なのである。

その代表例が松木安太郎である。

 

そしてDAZNでサッカーを見る人は比較的サッカーが好きな人である。

つまり、ある程度サッカーに詳しい人に向けたものであるから、

実況を担当するアナウンサーにもサッカーの知識が求められる。

解説もしかり。

 

余談ではあるが、私は実況:下田恒幸、解説:戸田和幸のコンビが一番好きである。

 

E-1選手権の日韓戦で解説の一人にラモス瑠偉がいた。

得点が必要であるにもかかわらず、がむしゃらに攻めに行かない選手たちに、

ラモスはかなりイライラしていた。

途中から解説の仕事を放棄し、ただただ良くない点をつぶやくだけだった。

 

人によっては「視聴者の言いたいことを代弁してくれている」と思ったかもしれない。

しかし私は「視聴者でも言えることしか言っていない」と思った。

ラモスらしいといえばらしいのだが、「闘う」ことにこだわった物言いが、

解説としての仕事を放棄しているように感じたのだった。

 

確かに日本代表の試合内容は酷かった。

イライラするのは無理もない。

ただ、解説としては感情を前面に出すべきではないと考える。

解説において抽象的な感情論はほとんど不要である。

 

大衆向けのサッカー放送は難しいものである。

他のスポーツにおいても同様だろう。

年が明ければW杯イヤーとして、日本vsコロンビアのスコア予想であったり、

どこが優勝するかを予想してみたりと、大衆向けの企画が横行する。

それはそれで良い。

しかし、大衆向けであるからという理由で、

本来のファンの気持ちを削ぐようなものはやめてほしいのである。

 

その代表例が今回のラモスの解説であった。

あれはいらない。

もう少し大衆向けの放送でも専門的なものにしてよいのではないだろうか。



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